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オーストリア・ハンガリー帝国(1867~1918)



1853年からのクリミア戦争でロシアとの関係が悪化し
(これによりウィーン体制の遺産であった神聖同盟は完全に崩壊)、イタリア統一戦争や普墺戦争で敗北した
オーストリアは国際的地位が低下し、
帝国内の諸民族の独立運動を招いた。
これらを軍で鎮圧しようにも
支配階級であるドイツ人は総人口の24%にすぎず、
衰退期にはいっている時期では完全鎮圧は不可能だった。
       
そこで、総人口の20%を占めるマジャール人に
自治権を与えることで懐柔し、
帝国を維持する方針が立てられた。
帝国をオーストリアとハンガリーに分割し、
君主と軍事・外交にその財政のみを共有して
他は独自に行う二重帝国が誕生した。
       
だが、帝国を分割してもオーストリア人と
マジャール人の人口はそれぞれの国で過半数を占めて折らず、
それ以後も民族問題が治まることはなかった。

1918年のサラエボ事件で第1次世界大戦が勃発し、
オーストリア・ハンガリーは中央同盟の一員として参戦するも
戦争の長期化で民族運動は加速し、
チェコスロバキア臨時政府の樹立が連合国に承認されると
他の民族も独立を宣言し、
盟邦のハンガリーまでも分離独立したことで
650年間も中央ヨーロッパに君臨した
ハプスブルク家の帝国は完全に崩壊した。

帝国の崩壊で中東欧地域は極めて不安定となり、
ドイツのヒトラーの台頭、第2次世界大戦の勃発、
戦後のソ連による東欧支配を招いた。
尚、ハプスブルク家は1961年までオーストリアへの
入国を禁止されている。

フランツ・ヨーゼフ1世(1867~1916)
カール1世(1916~1918)
(引用 http://lopezroom.hp )
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